直結している心
2012年 10月 24日
親と子は、親子であっても、皆、一人ひとり違います。
でも、親子の心と心は、ドラえもんの「どこでもドア」みたいに、直結しているな・・・って感じることがあります。
海は、海なりの生きづらさがあり、もちろん、海なりの課題がいっぱいあります。
でも、成績を気にしたり、友達との付き合いで悩んだり、テストに追われたりすることがありません。
それに対して、空は、一般の中学の普通級にいる訳なので、当然、成績はついてまわるし、
友達との付き合いでも悩むこともあれば、テストに追われ、この先の学校も試験で決まります。
パパも私も、もちろんそうでしたし、大多数の人が、通ってきた道です。
空が、小学生の頃も、友達と遊べなかったり、うまくいかなかったり、勉強につまづいたり、
嘘をついたり、人を傷つけたり、そんなことがあった日は、空が、どこでもドアで、私の心に自分の
悲しい気持ちを運んで、私の心に置いて行くのです。
もちろん、反対で、喜ばしいことも一緒です。
友達と、それはもう楽しく遊んだり、褒められたり、勉強を頑張ったり、正直だったり、人に優しくしたり、
そんなことがあった日は、空が、どこでもドアで、私の心に自分の嬉しい気持ちを運んで、私の心に
置いて行くのです。
親の私は、その悲しみや、喜びが、自分の心に置かれた瞬間に、心の中が、空の気持ちに染められます。
でも、その気持ちを知って、空に声をかけたときに、必ずしも、空の欲しかったことばが、私から出なかったり、
私が欲しかったことばが、空から出なかったりすると、お互いにケンカになったり、
どうしてわかってくれないんだろう・・と悲しくなったりするんですよね。
けれど、お互いに、ことばをかける直前までは、きっと、親子で同じ気持ちになっていたと思うのです。
親は、自分の子どもに、いつだって幸せでいてもらいたいと願い、
きっと、子どもだって、お母さんが、にこにこと幸せそうにしていることを願っている。
子どもが、仲間はずれにされたら、自分が仲間はずれにされているような気持ちになってしまう。
お母さんが泣いていたら、子どもまで悲しくなって、涙を流したりする。
私には、私の心が一つ。
その心が、子どもの悲しい心と直結したとき、心がパンクしそうになって、私も一緒に苦しくなる。
子どもの嬉しい心と直結したとき、私の心も躍り出すのがわかる。
そんなとき、いつも思うのです。
親子なんだな・・って。
心は別々なはずなのに、1ミリもずれずに、ピタリと重なったときは、きっとお互いの心を、一瞬交換しても、
きっと何の違和感もない感覚なんだと思います。
親子が親子であることは、血のつながりなんかじゃなく、心と心が直結してつながることができる。
これこそが、親子なんだと思います。
海の心とつながることは、空のようにはいきません。
なかなか自力で、どこでもドアを開けることが難しいからです。
でも、沢山の方の力を借りて、海は、どこでもドアで、私の心に来られるようにしていただいているのです。
そのおかげで、海の気持ちに気づいてあげられることが、いっぱいあります。
どこでもドアで、行き来することができる親子の関係。
子育ては、この行き来によって、ときどき苦しんだり、辛くなったりするけれど、
それだけ、強い絆で結ばれているんだって思ったら、すごく幸せなことだな~って思いました。
今日もまた、目に見えないものの大きさを、強く感じました。
心あっての人。
心あっての親子。
目に見えない心を、同じように感じることができる。
お互いが、どこでもドアで行き来できるように、心のドアを、いつでも開けておいてあげられるように、
私の心を育てていきたいです。
読んでいただいて感謝です。
食欲の秋ですね。
毎月、来月こそ痩せるぞ・・と
思っている私です(^_^;)。
今月も、痩せるのは・・・。
すでに心が弱々です・・・。とほほ。
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でも、親子の心と心は、ドラえもんの「どこでもドア」みたいに、直結しているな・・・って感じることがあります。
海は、海なりの生きづらさがあり、もちろん、海なりの課題がいっぱいあります。
でも、成績を気にしたり、友達との付き合いで悩んだり、テストに追われたりすることがありません。
それに対して、空は、一般の中学の普通級にいる訳なので、当然、成績はついてまわるし、
友達との付き合いでも悩むこともあれば、テストに追われ、この先の学校も試験で決まります。
パパも私も、もちろんそうでしたし、大多数の人が、通ってきた道です。
空が、小学生の頃も、友達と遊べなかったり、うまくいかなかったり、勉強につまづいたり、
嘘をついたり、人を傷つけたり、そんなことがあった日は、空が、どこでもドアで、私の心に自分の
悲しい気持ちを運んで、私の心に置いて行くのです。
もちろん、反対で、喜ばしいことも一緒です。
友達と、それはもう楽しく遊んだり、褒められたり、勉強を頑張ったり、正直だったり、人に優しくしたり、
そんなことがあった日は、空が、どこでもドアで、私の心に自分の嬉しい気持ちを運んで、私の心に
置いて行くのです。
親の私は、その悲しみや、喜びが、自分の心に置かれた瞬間に、心の中が、空の気持ちに染められます。
でも、その気持ちを知って、空に声をかけたときに、必ずしも、空の欲しかったことばが、私から出なかったり、
私が欲しかったことばが、空から出なかったりすると、お互いにケンカになったり、
どうしてわかってくれないんだろう・・と悲しくなったりするんですよね。
けれど、お互いに、ことばをかける直前までは、きっと、親子で同じ気持ちになっていたと思うのです。
親は、自分の子どもに、いつだって幸せでいてもらいたいと願い、
きっと、子どもだって、お母さんが、にこにこと幸せそうにしていることを願っている。
子どもが、仲間はずれにされたら、自分が仲間はずれにされているような気持ちになってしまう。
お母さんが泣いていたら、子どもまで悲しくなって、涙を流したりする。
私には、私の心が一つ。
その心が、子どもの悲しい心と直結したとき、心がパンクしそうになって、私も一緒に苦しくなる。
子どもの嬉しい心と直結したとき、私の心も躍り出すのがわかる。
そんなとき、いつも思うのです。
親子なんだな・・って。
心は別々なはずなのに、1ミリもずれずに、ピタリと重なったときは、きっとお互いの心を、一瞬交換しても、
きっと何の違和感もない感覚なんだと思います。
親子が親子であることは、血のつながりなんかじゃなく、心と心が直結してつながることができる。
これこそが、親子なんだと思います。
海の心とつながることは、空のようにはいきません。
なかなか自力で、どこでもドアを開けることが難しいからです。
でも、沢山の方の力を借りて、海は、どこでもドアで、私の心に来られるようにしていただいているのです。
そのおかげで、海の気持ちに気づいてあげられることが、いっぱいあります。
どこでもドアで、行き来することができる親子の関係。
子育ては、この行き来によって、ときどき苦しんだり、辛くなったりするけれど、
それだけ、強い絆で結ばれているんだって思ったら、すごく幸せなことだな~って思いました。
今日もまた、目に見えないものの大きさを、強く感じました。
心あっての人。
心あっての親子。
目に見えない心を、同じように感じることができる。
お互いが、どこでもドアで行き来できるように、心のドアを、いつでも開けておいてあげられるように、
私の心を育てていきたいです。
読んでいただいて感謝です。
食欲の秋ですね。
毎月、来月こそ痩せるぞ・・と
思っている私です(^_^;)。
今月も、痩せるのは・・・。
すでに心が弱々です・・・。とほほ。
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by soratoumihouse
| 2012-10-24 00:01
| 親子