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心がはずむような日も、涙で包まれてしまう日も、やっぱり生かされている大切な一日。


by soratoumihouse

小さな子までもが、気づく「違い」こそが、この子の障害

今朝、私が、洗面所で顔を洗っていたら、海が来て言いました。

「ダイビングッて何?」

「ダイビング?水の中に潜ることだよ^^。」と答えた私。


すると、何も言わずに、リビングに行ってしまいました。

そして、リビングを走りながら、往復している音が、洗面所の私のところにも聞こえてきました。


そして、また、1分くらいして、私のところにきた海。

「キュ~、キュ~、キュ~。白イルカ。」


それだけ言うと、また、リビングに行ってしまった海。

なんだかなぁ~^^、ま、いっか・・と私。


そして、また、海のリビング往復の音が、聞こえてきました。

1分くらいして、海が、また来ました。

「お魚は、みんな、心があるんです!」と海。

そう言った海の気持ちの真意は、私にはわからないけど、否定はしたくなくて、

「そうね。お魚さんにも、心があるね。きっと・・・。」と答えました。


すると、また、リビングに行ってしまいました。

そして、また、リビング往復の音が、洗面所の私のところに聞こえてきます。


1分くらいして、海が、また、私のところに来ました。

「まもってあげたい・・・歌えるの。」と海。

「守ってあげたい?ユーミンの?」と私。

「ゆみさんの・・・。」と海。

「松任谷由美さんね?」と私。

コクリ・・と頷いて、それらしき歌を口ずさみながら、また、リビングに行ってしまいました。


確かに、一つ、一つの文章は、成り立っているんです。

でも、やっぱり、つながりが断片的なんです。

ものすごく、聞いた側が、想像力を働かせて、イメージして、きっと、こんな流れのことを、

考えていたに違いない・・・って、何とか理解しようとします。


これが、知的には高いほう・・とされる海の実態。

どんなに、言葉にできて、一つの文章として、成り立っていたとしても、

海の頭の中だけで、スライドショーのように、流れて出てきた文章を、次々並べられても、

普通、ん????ってなってしまうのも当然です。



今日は、敬老の日ということもあり、本当は、我が家に、じいとばあを呼びたかったのですが、

じいとばあのお家においで・・・ということで、プレゼントを持って、家族で行ってきました^^。

じいとばあのお家には、海のいとこの(姉の子で、小学1年生)女の子も来ていました。


彼女は、言葉も流暢で、賢くて、いわゆる女の子らしい、可愛い1年生です。

海は、彼女が小さい時は、どうしても緊張してしまうのか、せっかく来てくれたのに、

泣いてしまうことも、度々ありました。

(ごめんよ~、Mちゃん~!といつも、申し訳なかった・・・。)


でも、彼女が、年中さん~年長さんの最初のころは、海も慣れて、彼女もごっこ遊びに夢中な時期。

「ちょっと、海くん、私に着いてきて!」と言えば、何でも言うことを聞いて着いて行く海が、

上手にごっこ遊びを成立させることは出来なくても、一緒にいて、居心地が良かったのだと思います。


彼女が、年長さんの後半くらいになってきたころからかな・・・

おじいちゃんのお家にいても、私の家にきていても、一緒に出かけても、海と遊ぼうとしなくなりました。

空のところに行って、一緒に遊ぶことを、おねだりするようになっていきました。


当然だし、彼女は、とてもノーマルな発達をしているので、海のコミュニケーションのおかしさに

気づいたんですよね。

なんとなく、おかしい。一緒に遊べない。

お話はするけど、会話にならない・・・。


もちろん、一緒に出かけたりするときは、みんな一緒に行きますが、海はもう、一人でいることが

多くなりました。

海自身が、そこに、ものすごい寂しさを感じているかと言えば、感じていないはずです。

それが、苦痛ではないし、そういう障害なのですから。


今日、おじいちゃんのお家でも、海は、一人でした。

「イルカは、キュ~、キュ~、キュ~。」

「マンタは、こんなに大きいの。」

「水族館って、何?」

「ゆみさん、歌えます!」


不思議そうに、海をみつめる、彼女の視線が、とても自然だと思いました。

親の私だって、その話す文章のつながりを、理解しようとするのが、精一杯ですもの・・。

それでも、彼女は、海はおかしい!なんてことは、絶対言いません。

(まだ、姉は、海の障害のことを、彼女には話していないと思います。)

小学1年生の女の子は、もう、しっかり空気を読むことが出来るんですよね。

これこそが、私自身も通ってきた、ノーマルな成長の過程です。


でも、私は、海という子を授かり、そんな成長の過程を、当たり前に辿っていけない子がいることを

知りました。

海は、一人で、何やら話し、一人でいる。

それは、海にとって、とても自然で、決して悲しくないことなんです。

けれど、見ている親は、なんとも切なく感じてしまうような光景。


もう少ししたら、彼女には、海の障害を話し、理解してもらうことが出来るでしょう。

海の障害がわかった時は、姉の子ども達は、もう大きくなっていたし、

まだその女の子は姉のお腹の中でした。

私から、甥っ子3人に、海の障害がわかったこと、どんな障害なのかを話をしたことを、

今でもよく憶えています。


そんな3人の甥っ子たちは、海のことを、とてもよく理解して、自然に接してくれます。

きっと、彼女も、これから海のよき理解者の一人になってくれることでしょう。


海の障害を、知らない大人の人に話す時は、なんてことなく話せるようになりました。

でも、今まで、気づいていなかった子どもが、なんかおかしいと気づき、その子たちに、

海の説明をするときは、今でもちょっとだけ、切なくなるような、そんな気持ちになったりします。


なんだろう。海の障害がわかるまでは、同じように遊んで、同じように感じてきていた同年代のお友達

なんだけど、一瞬だけ、海の障害を話す時に、あんなに近くにいたお友達が、遠くにいってしまったような、

ポツンと取り残されてしまったような、そんな感じ。


でも、海のことを理解してもらうために、必要なこと。

これで、また、一人、海のことを、海の障害を理解してもらえる。

そう、自分に言い聞かせて、何人の人に、海の障害のことを明かしてきただろうか・・・。


一人、ポツンといる海を、いっぱい見慣れているはずなのに、ちょっとだけ寂しく感じる私は、

友達や、大切な人とコミュニケーションをいっぱいとることで、救われている自分だからなんですね。きっと。


やっぱり、「知的に高い=軽度」は安易な判定だと、思ってしまいます。

この断片的なスライドショーを、頭に並べながら、生きている海。

1年生の女の子には、もう十分理解できるほどの、発達の違い。

会話が出来る、文章が成立している、そういうことで判断するのではなくて、

小さな子までもが、気づく「違い」こそが、海の障害の判定されるべき生きづらさなんだということを、

多くの方達に、知っていただきたいと願っています。


そして、一人でいることを、決して悲しいと思ってはいなくとも、人が嫌いなのではなく、

人は、大好きなんだということ。

おかしなことを言っていても、それが、彼らの思考回路だということ。

そんな思考回路を理解してくださる人とだったら、友達になってほしいと、きっと願っていること。


私は、海の親として、海の思考回路に、私なりに一生懸命考えて、矢印をつけていきます。

迷いながら、立ち止まりながら、それでも、矢印を持って・・・。

海の目指すゴールを一緒に見たいから・・・。



海が、じいとばあにプレゼントした絵です。

じいもばあも、とっても喜んでくれました^^。

小さな子までもが、気づく「違い」こそが、この子の障害_b0244274_0415644.jpg



読んでいただいて、本当に感謝です。
ユーミンの曲を、久しぶりに、
私も聴きたくなってしまいました^^。
胸がキュンキュンしちゃいそうです。
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by soratoumihouse | 2012-09-18 00:53 | 海のこと