小さな子までもが、気づく「違い」こそが、この子の障害
2012年 09月 18日
今朝、私が、洗面所で顔を洗っていたら、海が来て言いました。
「ダイビングッて何?」
「ダイビング?水の中に潜ることだよ^^。」と答えた私。
すると、何も言わずに、リビングに行ってしまいました。
そして、リビングを走りながら、往復している音が、洗面所の私のところにも聞こえてきました。
そして、また、1分くらいして、私のところにきた海。
「キュ~、キュ~、キュ~。白イルカ。」
それだけ言うと、また、リビングに行ってしまった海。
なんだかなぁ~^^、ま、いっか・・と私。
そして、また、海のリビング往復の音が、聞こえてきました。
1分くらいして、海が、また来ました。
「お魚は、みんな、心があるんです!」と海。
そう言った海の気持ちの真意は、私にはわからないけど、否定はしたくなくて、
「そうね。お魚さんにも、心があるね。きっと・・・。」と答えました。
すると、また、リビングに行ってしまいました。
そして、また、リビング往復の音が、洗面所の私のところに聞こえてきます。
1分くらいして、海が、また、私のところに来ました。
「まもってあげたい・・・歌えるの。」と海。
「守ってあげたい?ユーミンの?」と私。
「ゆみさんの・・・。」と海。
「松任谷由美さんね?」と私。
コクリ・・と頷いて、それらしき歌を口ずさみながら、また、リビングに行ってしまいました。
確かに、一つ、一つの文章は、成り立っているんです。
でも、やっぱり、つながりが断片的なんです。
ものすごく、聞いた側が、想像力を働かせて、イメージして、きっと、こんな流れのことを、
考えていたに違いない・・・って、何とか理解しようとします。
これが、知的には高いほう・・とされる海の実態。
どんなに、言葉にできて、一つの文章として、成り立っていたとしても、
海の頭の中だけで、スライドショーのように、流れて出てきた文章を、次々並べられても、
普通、ん????ってなってしまうのも当然です。
今日は、敬老の日ということもあり、本当は、我が家に、じいとばあを呼びたかったのですが、
じいとばあのお家においで・・・ということで、プレゼントを持って、家族で行ってきました^^。
じいとばあのお家には、海のいとこの(姉の子で、小学1年生)女の子も来ていました。
彼女は、言葉も流暢で、賢くて、いわゆる女の子らしい、可愛い1年生です。
海は、彼女が小さい時は、どうしても緊張してしまうのか、せっかく来てくれたのに、
泣いてしまうことも、度々ありました。
(ごめんよ~、Mちゃん~!といつも、申し訳なかった・・・。)
でも、彼女が、年中さん~年長さんの最初のころは、海も慣れて、彼女もごっこ遊びに夢中な時期。
「ちょっと、海くん、私に着いてきて!」と言えば、何でも言うことを聞いて着いて行く海が、
上手にごっこ遊びを成立させることは出来なくても、一緒にいて、居心地が良かったのだと思います。
彼女が、年長さんの後半くらいになってきたころからかな・・・
おじいちゃんのお家にいても、私の家にきていても、一緒に出かけても、海と遊ぼうとしなくなりました。
空のところに行って、一緒に遊ぶことを、おねだりするようになっていきました。
当然だし、彼女は、とてもノーマルな発達をしているので、海のコミュニケーションのおかしさに
気づいたんですよね。
なんとなく、おかしい。一緒に遊べない。
お話はするけど、会話にならない・・・。
もちろん、一緒に出かけたりするときは、みんな一緒に行きますが、海はもう、一人でいることが
多くなりました。
海自身が、そこに、ものすごい寂しさを感じているかと言えば、感じていないはずです。
それが、苦痛ではないし、そういう障害なのですから。
今日、おじいちゃんのお家でも、海は、一人でした。
「イルカは、キュ~、キュ~、キュ~。」
「マンタは、こんなに大きいの。」
「水族館って、何?」
「ゆみさん、歌えます!」
不思議そうに、海をみつめる、彼女の視線が、とても自然だと思いました。
親の私だって、その話す文章のつながりを、理解しようとするのが、精一杯ですもの・・。
それでも、彼女は、海はおかしい!なんてことは、絶対言いません。
(まだ、姉は、海の障害のことを、彼女には話していないと思います。)
小学1年生の女の子は、もう、しっかり空気を読むことが出来るんですよね。
これこそが、私自身も通ってきた、ノーマルな成長の過程です。
でも、私は、海という子を授かり、そんな成長の過程を、当たり前に辿っていけない子がいることを
知りました。
海は、一人で、何やら話し、一人でいる。
それは、海にとって、とても自然で、決して悲しくないことなんです。
けれど、見ている親は、なんとも切なく感じてしまうような光景。
もう少ししたら、彼女には、海の障害を話し、理解してもらうことが出来るでしょう。
海の障害がわかった時は、姉の子ども達は、もう大きくなっていたし、
まだその女の子は姉のお腹の中でした。
私から、甥っ子3人に、海の障害がわかったこと、どんな障害なのかを話をしたことを、
今でもよく憶えています。
そんな3人の甥っ子たちは、海のことを、とてもよく理解して、自然に接してくれます。
きっと、彼女も、これから海のよき理解者の一人になってくれることでしょう。
海の障害を、知らない大人の人に話す時は、なんてことなく話せるようになりました。
でも、今まで、気づいていなかった子どもが、なんかおかしいと気づき、その子たちに、
海の説明をするときは、今でもちょっとだけ、切なくなるような、そんな気持ちになったりします。
なんだろう。海の障害がわかるまでは、同じように遊んで、同じように感じてきていた同年代のお友達
なんだけど、一瞬だけ、海の障害を話す時に、あんなに近くにいたお友達が、遠くにいってしまったような、
ポツンと取り残されてしまったような、そんな感じ。
でも、海のことを理解してもらうために、必要なこと。
これで、また、一人、海のことを、海の障害を理解してもらえる。
そう、自分に言い聞かせて、何人の人に、海の障害のことを明かしてきただろうか・・・。
一人、ポツンといる海を、いっぱい見慣れているはずなのに、ちょっとだけ寂しく感じる私は、
友達や、大切な人とコミュニケーションをいっぱいとることで、救われている自分だからなんですね。きっと。
やっぱり、「知的に高い=軽度」は安易な判定だと、思ってしまいます。
この断片的なスライドショーを、頭に並べながら、生きている海。
1年生の女の子には、もう十分理解できるほどの、発達の違い。
会話が出来る、文章が成立している、そういうことで判断するのではなくて、
小さな子までもが、気づく「違い」こそが、海の障害の判定されるべき生きづらさなんだということを、
多くの方達に、知っていただきたいと願っています。
そして、一人でいることを、決して悲しいと思ってはいなくとも、人が嫌いなのではなく、
人は、大好きなんだということ。
おかしなことを言っていても、それが、彼らの思考回路だということ。
そんな思考回路を理解してくださる人とだったら、友達になってほしいと、きっと願っていること。
私は、海の親として、海の思考回路に、私なりに一生懸命考えて、矢印をつけていきます。
迷いながら、立ち止まりながら、それでも、矢印を持って・・・。
海の目指すゴールを一緒に見たいから・・・。
海が、じいとばあにプレゼントした絵です。
じいもばあも、とっても喜んでくれました^^。
読んでいただいて、本当に感謝です。
ユーミンの曲を、久しぶりに、
私も聴きたくなってしまいました^^。
胸がキュンキュンしちゃいそうです。
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「ダイビングッて何?」
「ダイビング?水の中に潜ることだよ^^。」と答えた私。
すると、何も言わずに、リビングに行ってしまいました。
そして、リビングを走りながら、往復している音が、洗面所の私のところにも聞こえてきました。
そして、また、1分くらいして、私のところにきた海。
「キュ~、キュ~、キュ~。白イルカ。」
それだけ言うと、また、リビングに行ってしまった海。
なんだかなぁ~^^、ま、いっか・・と私。
そして、また、海のリビング往復の音が、聞こえてきました。
1分くらいして、海が、また来ました。
「お魚は、みんな、心があるんです!」と海。
そう言った海の気持ちの真意は、私にはわからないけど、否定はしたくなくて、
「そうね。お魚さんにも、心があるね。きっと・・・。」と答えました。
すると、また、リビングに行ってしまいました。
そして、また、リビング往復の音が、洗面所の私のところに聞こえてきます。
1分くらいして、海が、また、私のところに来ました。
「まもってあげたい・・・歌えるの。」と海。
「守ってあげたい?ユーミンの?」と私。
「ゆみさんの・・・。」と海。
「松任谷由美さんね?」と私。
コクリ・・と頷いて、それらしき歌を口ずさみながら、また、リビングに行ってしまいました。
確かに、一つ、一つの文章は、成り立っているんです。
でも、やっぱり、つながりが断片的なんです。
ものすごく、聞いた側が、想像力を働かせて、イメージして、きっと、こんな流れのことを、
考えていたに違いない・・・って、何とか理解しようとします。
これが、知的には高いほう・・とされる海の実態。
どんなに、言葉にできて、一つの文章として、成り立っていたとしても、
海の頭の中だけで、スライドショーのように、流れて出てきた文章を、次々並べられても、
普通、ん????ってなってしまうのも当然です。
今日は、敬老の日ということもあり、本当は、我が家に、じいとばあを呼びたかったのですが、
じいとばあのお家においで・・・ということで、プレゼントを持って、家族で行ってきました^^。
じいとばあのお家には、海のいとこの(姉の子で、小学1年生)女の子も来ていました。
彼女は、言葉も流暢で、賢くて、いわゆる女の子らしい、可愛い1年生です。
海は、彼女が小さい時は、どうしても緊張してしまうのか、せっかく来てくれたのに、
泣いてしまうことも、度々ありました。
(ごめんよ~、Mちゃん~!といつも、申し訳なかった・・・。)
でも、彼女が、年中さん~年長さんの最初のころは、海も慣れて、彼女もごっこ遊びに夢中な時期。
「ちょっと、海くん、私に着いてきて!」と言えば、何でも言うことを聞いて着いて行く海が、
上手にごっこ遊びを成立させることは出来なくても、一緒にいて、居心地が良かったのだと思います。
彼女が、年長さんの後半くらいになってきたころからかな・・・
おじいちゃんのお家にいても、私の家にきていても、一緒に出かけても、海と遊ぼうとしなくなりました。
空のところに行って、一緒に遊ぶことを、おねだりするようになっていきました。
当然だし、彼女は、とてもノーマルな発達をしているので、海のコミュニケーションのおかしさに
気づいたんですよね。
なんとなく、おかしい。一緒に遊べない。
お話はするけど、会話にならない・・・。
もちろん、一緒に出かけたりするときは、みんな一緒に行きますが、海はもう、一人でいることが
多くなりました。
海自身が、そこに、ものすごい寂しさを感じているかと言えば、感じていないはずです。
それが、苦痛ではないし、そういう障害なのですから。
今日、おじいちゃんのお家でも、海は、一人でした。
「イルカは、キュ~、キュ~、キュ~。」
「マンタは、こんなに大きいの。」
「水族館って、何?」
「ゆみさん、歌えます!」
不思議そうに、海をみつめる、彼女の視線が、とても自然だと思いました。
親の私だって、その話す文章のつながりを、理解しようとするのが、精一杯ですもの・・。
それでも、彼女は、海はおかしい!なんてことは、絶対言いません。
(まだ、姉は、海の障害のことを、彼女には話していないと思います。)
小学1年生の女の子は、もう、しっかり空気を読むことが出来るんですよね。
これこそが、私自身も通ってきた、ノーマルな成長の過程です。
でも、私は、海という子を授かり、そんな成長の過程を、当たり前に辿っていけない子がいることを
知りました。
海は、一人で、何やら話し、一人でいる。
それは、海にとって、とても自然で、決して悲しくないことなんです。
けれど、見ている親は、なんとも切なく感じてしまうような光景。
もう少ししたら、彼女には、海の障害を話し、理解してもらうことが出来るでしょう。
海の障害がわかった時は、姉の子ども達は、もう大きくなっていたし、
まだその女の子は姉のお腹の中でした。
私から、甥っ子3人に、海の障害がわかったこと、どんな障害なのかを話をしたことを、
今でもよく憶えています。
そんな3人の甥っ子たちは、海のことを、とてもよく理解して、自然に接してくれます。
きっと、彼女も、これから海のよき理解者の一人になってくれることでしょう。
海の障害を、知らない大人の人に話す時は、なんてことなく話せるようになりました。
でも、今まで、気づいていなかった子どもが、なんかおかしいと気づき、その子たちに、
海の説明をするときは、今でもちょっとだけ、切なくなるような、そんな気持ちになったりします。
なんだろう。海の障害がわかるまでは、同じように遊んで、同じように感じてきていた同年代のお友達
なんだけど、一瞬だけ、海の障害を話す時に、あんなに近くにいたお友達が、遠くにいってしまったような、
ポツンと取り残されてしまったような、そんな感じ。
でも、海のことを理解してもらうために、必要なこと。
これで、また、一人、海のことを、海の障害を理解してもらえる。
そう、自分に言い聞かせて、何人の人に、海の障害のことを明かしてきただろうか・・・。
一人、ポツンといる海を、いっぱい見慣れているはずなのに、ちょっとだけ寂しく感じる私は、
友達や、大切な人とコミュニケーションをいっぱいとることで、救われている自分だからなんですね。きっと。
やっぱり、「知的に高い=軽度」は安易な判定だと、思ってしまいます。
この断片的なスライドショーを、頭に並べながら、生きている海。
1年生の女の子には、もう十分理解できるほどの、発達の違い。
会話が出来る、文章が成立している、そういうことで判断するのではなくて、
小さな子までもが、気づく「違い」こそが、海の障害の判定されるべき生きづらさなんだということを、
多くの方達に、知っていただきたいと願っています。
そして、一人でいることを、決して悲しいと思ってはいなくとも、人が嫌いなのではなく、
人は、大好きなんだということ。
おかしなことを言っていても、それが、彼らの思考回路だということ。
そんな思考回路を理解してくださる人とだったら、友達になってほしいと、きっと願っていること。
私は、海の親として、海の思考回路に、私なりに一生懸命考えて、矢印をつけていきます。
迷いながら、立ち止まりながら、それでも、矢印を持って・・・。
海の目指すゴールを一緒に見たいから・・・。
海が、じいとばあにプレゼントした絵です。
じいもばあも、とっても喜んでくれました^^。
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私も聴きたくなってしまいました^^。
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by soratoumihouse
| 2012-09-18 00:53
| 海のこと