心がはずむような日も、涙で包まれてしまう日も、やっぱり生かされている大切な一日。


by soratoumihouse

私の指定席

私は4人家族の次女として生まれてきました。

家族構成は、父、母、姉、私の4人です。

姉は私より8歳年上です。

そんな歳の離れた姉なので、お母さんが二人いるような感じです。

そして、私は二人目ということもあり、恐らく、いや絶対に甘やかされて育ちました。

当然のことながら、姉は、しっかりしていて、頭も良くて、本当に頼りになります。

えっ?私?
  
私は甘えるのが上手で、頭は、、、。全く頼りになりません。とほほ。


父は、とてもまめな人で、ちょっと短気なところもありますが、子どもが大好きな人です。

私が遊んでもらった記憶があるのは、ほとんど父です。

なーんて言うと、母に怒られそうだけど。

いつも、近くにあった土手まで、父のこぐ自転車の後ろに乗って、土手に着くと、

持っていったダンボールの上に乗っかって、キャーキャー言いながら

土手を滑り降りていたことを思い出します。

やっぱり、繰り返された、楽しかった記憶は鮮明です。


母は、家が自営業だったこともあり、お仕事を手伝ったり、当時働いてくれていた人も

一緒に食事をとっていたので、朝、昼、晩といつも、食事の準備をしていたような記憶

があります。

なので、小さい頃の母との記憶は、いつも夕方、友達と遊んで家に帰ると一緒に

商店街に買い物にでかけ、おでん屋さんのおばさんの所で、大好きなちくわぶを買ってもらっり、

やきとり屋さんに立ち寄っては、好きだったレバーを1本買ってもらったり、

商店街のおじちゃんやおばちゃんに挨拶しながら、母がお店で立ち話している横で

なんか食べている(笑)そんな感じでした。

母は毎日毎日、ほとんど外食することもなく、食事を作ってくれ、今でも変わりませんが

人のために、何かをするということが、母の生きがいなんだと感じるほど、とても私には

真似できないタフな人です。

(あまりに人に尽くす人なので、思春期は、人じゃなくて、私をみて!と若干、すねて

 みた時もありました。さすが、甘やかされ次女!)



そんな幼少時代でしたので、間違いなく、家が大好きで、家が楽しかったんだと思います。

ですので、幼稚園に行くのが嫌で嫌で、毎日毎日泣いていました。

幼稚園バスのバス停に行くのも、その時間が近づくと、たまらなく悲しくなって、

わ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んと泣きだす。

しかし、母は意外とそこら辺が厳しくて、休ませてくれません。

泣きじゃくる私を、強引に押しこむという、、、、。

そんな訳で、私は幼稚園の運動会に、年少、年中と見学(笑)。年長は出ました!えらいぞ!

今思うと、運動会に誰よりも早く席をとり、ものすごい張り切って、何人分のお弁当を

作るのよというような豪華お弁当まで作ったのに、子どもは出ないという、、、

親不幸者ですよね。お母さん、ごめんなさい。私だったら、荒れるな、、ひひ。



幼稚園の給食も嫌だし、週に2回くらいあるお弁当も、母が見ていないすきに減らした

こともある、なかなかの幼稚園児でした。

だって、食べるのが遅くて、いっつも怒られるし、最後までお部屋に取り残されて

全然楽しくないんだも~~~~~~~~~~~ん!

お友達の中には積極的に入れないし、すぐ緊張して泣くし、幼稚園でしなければならない

すべてが嫌で仕方なかった。

(はて?私はいつ、変身したのだろううか、、、、。今の私しか知らない人には

 嘘をつくんじゃない!と怒られてしまいそう。、、、ほんとです。)



けれど、やっぱり、神様は、そんな私を一人ぽっちにはしません。

泣いて泣いて登園する私を、いつも待ってくれている先生がいました。

幼稚園の事務所だったか、職員室だったかは憶えていないのですが、

担任の先生ではない先生で、いつもいつも、毎日その場所に居てくれて、

まるで私の指定席みたいに、その場所を空けておいてくれるのです。

すこし、ふっくらとした、その先生のおひざが私の指定席です。

そのおひざの上に乗ると、そして先生に抱きしめてもらうと、

ひっくひっくと震えていた身体と心が少しずつ落ち着いてくるのです。

もう~十年たった今でも、あの先生のあたたかさと、優しい笑顔、

何にも言わないで、ただ、おいでと手を差し伸べてくれる柔らかな手を

私は、忘れることなく、先生の身体の柔らかさや温度まで思い出せそうな位です。




もし、先生がいらっしゃらなかったら、私の幼稚園時代はとても悲しいものになったでしょう。

初めての社会生活の場で、緊張と混乱の中で、泣くことしか出来なかった私の心を

救ってくれた先生。



そのあたたかさが、後に私の未来へと繋がっていくなんて、だれも想像しなかったでしょう。

幼稚園の先生になりたい!とはっきりとした意志をもったのは小学6年生でした。

何をやっても、中途半端で、輝かしいことなんて、何もなかったけど、

その夢だけは変わらなかった。

あの先生が私のために、指定席を用意してくれていたみたいに、

悲しくて、ママと離れるのが嫌で、泣くことしか出来ない子が、安心して座れる指定席を

用意出来る先生になることが夢でした。



夢が叶って、身体を震わせて泣いてきた子を抱きしめた時の、たまらない気持ちも

忘れません。

私がそうしてもらったように、安心していいのよと言葉には出さない安心感を

先生みたいに出せたかはわからないけど、夢に繋げてくれた先生に感謝しています。

先生が私を抱きしめてくれたから、今、私は、こんな風に感じることができているのだから。

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Commented at 2011-12-15 23:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by soratoumihouse at 2011-12-15 23:26
鍵コメントのUさんへ
なんか御馳走しなくっちゃね(笑)。
でも仕事と育児は全く別だったことを、思い知らされるのでした
。へへへ。
嬉しいコメントありがとう。御馳走します!
Commented by パワフル主婦 at 2011-12-17 00:21 x
忙しくてブログを見るのも3日ぶりです。
私の子ども達は人見知りもしなかったし、幼稚園も毎日ルンルンで
行ってたから、門の所で「ママ~!」って泣いてる子を見ると
すごくうらやましかったな。
空・海ママのお母さんも、困ったな~と思いつつも嬉しかったと
思うよ!
Commented by soratoumihouse at 2011-12-17 01:39
パワフル主婦さんへ
毎日ルンルンで幼稚園に通えるってとても素敵なこと。
私の母も、そんな風に思ってくれていたなら、
少し救われるけど、、、。へへ。
そんな泣いてた面影が今の私にないのは、何故だろう(笑)。
そう思うと、幼稚園の時のイメージのまま大人にはならないんだねっ(*^_^*)。
Commented by 納豆マンマ at 2011-12-17 02:25 x
小学校6年生の時に将来の夢を持って、それを叶えたなんて、いいお話だよ。
私は小学校の卒業文集に、お母さんに「お金持ちになれる仕事って何?」と聞いて「弁護士」と言われたもんだから、将来の夢=弁護士と書いてしまい、後で「とんだ赤っ恥だわ。。。」と怒られました。
優秀な子供ならいざしらず、私が書いたもんだから、親としてはね~。
今ならわかる、親の気持ちでした(笑)





Commented by soratoumihouse at 2011-12-17 07:59
納豆マンマさんへ
弁護士!
私なんて、恐らく6年生の時に、弁護士がどんな仕事を
するのか、わかってなかったよ、、、。おバカ全開!
納豆マンマさんの、弁護士姿、見たかったな~。
相手の気持ちを考えて考えて、一生懸命弁護して
でも、優しいから、裁判で、涙流して訴えてそう(笑)。
そういう弁護士さんがいてもいいよね。
優しさを生かした仕事が向いてると思うな~。
by soratoumihouse | 2011-12-15 23:00 | わたしのこと | Comments(6)